#1022米のネーミング戦略

10月6日の放送は「1022米のネーミング戦略」でした。

「トーク1」     

きらら397・ゆめぴりか・ふっくりんこなど。現在では米の名称は親しみやすいことが求められ、個性豊かなイメージを発信しようと様々なネーミングが全国で開発され続けています。

北海道の米は、味の向上もさることながら、イメージ戦略・ネーミング開発で成功したということが言えるかも知れません。

ブランド米はかつて、コシヒカリ・ササニシキの2強といわれてきました。米の名称もやや保守的でした。

新潟で開発されたコシヒカリは、開発時は越南17号と呼ばれていました。欠点はいもち病に弱い、倒伏しやすいこと。しかし、開発者の強い思い入れがあり奨励品種に採用されています。

米の名称は、カタカナ5文字以内で美しい日本語とすることが決められていました。県は収穫前の穂の色・ご飯の色がひときわ美しいことから、新潟である越の国に光り輝く品種となることを期待して「コシヒカリ」と命名しました。

ササニシキは、宮城県で1963年・昭和38年に誕生しました。こちらの名称は、父と母の名前から取られています。父親の「ササシグレ」と母親の「ハツニシキ」の両方の名前をとって「ササニシキ」と命名されました。

これらが美味しい米の代名詞だった昭和40年代、北海道の米はパサパサで、粘りがなく、お世辞にも美味しくはありませんでした。ついたあだ名が「やっかいどう米」。なかなか消費されない米とされました。

当時の米は生産過剰で、稲作転換が進められた時代。美味しくない米しかできない北海道には、45パーセントという高い転作率が割り当てられました。この屈辱的な対応に北海道立農業試験場が奮起。どこにも負けない良食味米を育成することを目指します。

彼らは北海道の米はなぜ拙いのかを根本的に調査していきました。原因は米でん粉の組成にありました。

米の主成分のでん粉は、アミロペクチンとアミローズの2つがあります。アミローズの比率が高いほど粘りがなくパサパサ感が強い。北海道の主要品種のアミローズ含有率は21~23%。これに対してコシヒカリは16~18%。圧倒的に多い成分でした。

低アミローズの品種をつくれば、おいしい米ができるという思いから、彼らは成分育種の作業をスタートさせます。そんな研究が進んでいった1984年・昭和59年、秋田で米のネーミングに革命が起こりました。

県が実施したのは「美人を育てる秋田米」キャンペーン。期待の新品種は「あきたこまち」という名前が候補となりました。これは秋田出身といわれる伝説の美女・秋田小町から取られています。

しかし、当時の秋田県知事は5文字のネーミングにこだわりました。「あきたこまち」から「た」を抜き「あきこまち」を指示します。

これに農協関係者が猛反発。秋田県産のイメージを損なう「た」抜きはNGと説得しました。そのような経緯で米の名前は「あきたこまち」となりました。

「トーク2」

秋田県産の「あきたこまち」は、前例のないネーミングでした。また、市女笠をかぶる女性のデザインの包装紙も斬新でした。この動きに北海道も注目。北海道での美味しい米の開発が急がれます。

1978年・昭和53年、研究者の熱意に応え道庁が破格の予算を計上。北海道立農試試験場では、アミローズを迅速に測定する高価な自動分析装置を導入することができました。これで美味しい道産米の開発に勢いがつきます。

1980年・昭和55年、関係者の総力を上げた優良米の研究プロジェクトがスタートしました。オート・アナライザーは上川農業試験場にも導入され、スピード感ある研究が進行していきます。

1982年・昭和57年以降、何回もの系統選抜を経て、北海道米の革命児となる「上育397」が完成しました。その後1988年・昭和63年1月の会議で、出席者の全員一致により北海道の奨励品種となりました。

長所は何といってもその美味しさ。アミローズ値は、奨励品種決定直前の検査では19%を記録。北海道米としては史上初めて20%を切ることに成功しました。

問題は商品化するときのネーミング。ターゲットは30~40代の女性が想定されました。関係者は斬新な名前が必要との認識で一致していました。

彼らは名称公募という手段を採用します。また、ターゲット層を意識するということから、最終選考には若手の女性委員も4名加わりました。

候補の中に「きらら」という名称がありました。きらめく様子・白い米のイメージから考えられたといいます。

この「きらら」と「上育397」をあわせて「きらら397」という名称が考えられました。この案には、委員16名中9名が賛成。圧倒的な支持を受けます。

これに一部の農業団体幹部は猛反対。「これが米の名前か」と憤ったとも伝わります。しかし、賛成する委員たちが反対論を押し切り新しい米の名称に決定します。

マスコットキャラクターには、絵本作家・伊藤正道がデザインした「きららちゃん」が設定されました。

商品化されると「きらら397」は市場を席捲。家庭はおろか外食産業までが使用する人気ぶりとなりました。

その後、北海道からは斬新な名称の米が誕生していきました。2001年・平成13年の「ななつぼし」2003年・平成15年の「ふっくりんこ」さらに、2008年・平成20年の「ゆめぴりか」と続いていきます。

現在、北海道米は「やっかいどう米」ではなく、多くの人々に愛されています。もちろんその味わいが人気の源ですが、親しみやすいネーミングやキャラクターデザインが果たしている役割は大きいといえるでしょう。

今や米どころとなった北海道。今後も新たな品種が、私たちを楽しませてくれるに違いありません。

出典/参考文献

時を訪ねて「米のネーミング革命1980」北海道新聞 2020年11月29日

インターネット資料

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