#1018北海道の電信電話

2023年9月8日の放送は「北海道の電信電話」でした。                        

「トーク1」

現在は通信の時代。IT技術の進歩によってメールやSNSなどの便利なツールが数多くあり、人々のコミュニケーションを促進しています。その発端となった発明が電信・電話であったことには異論はないと思います。

北海道での電信・電話の浸透は、かなり遅いという印象があるかも知れません。しかし、意外にも明治からその動きは見られています。

北海道での最も古い電信の記録は、1867年・明治元年。新政府と徹底抗戦すべく、幕府の艦隊を率いて北海道に入った榎本武揚が、オランダ製の電信機を箱館運上所に持ち込んだとされます。

榎本は新政府との戦いを想定し、情報網を使った作戦を意図していたと考えられます。しかし、北海道上陸から半年ほどで榎本は敗戦。この電信機は使用されることがありませんでした。

その後、北海道の開拓をしていくことになったのは開拓使でした。彼らは北海道の土地の広大さから、電信での連絡が必須であると考えます。

1872年・明治5年、開拓使は北海道内の電信網の建設を開始。2年の時間をかけて工事を行っていきました。

1874年・明治7年に北海道の主要都市だった函館・室蘭・苫小牧・札幌・小樽のルートで電信網が完成しています。

驚くべきことに、津軽海峡の海底線も同じころに工事が終了しており、ただならぬ力の入れ方が伺えます。

1875年・明治8年には、津軽海峡の海底線を利用して、札幌から長崎までの電信がつながりました。

それまで札幌と東京の間は、飛脚を使った情報伝達でした。急いだとしても要する時間は1カ月。その時間をほとんどなくしてしまう電信網の完成は、北海道開拓に大きな影響を与えました。

1875年・明治8年3月20日、札幌で一般電報が開始されます。当時、人々の間で歌が流行りました。

馬車や蒸気じゃ頼りが遅い、かけておくれよテレガラフ、海山へだてて暮らしていても、心はきれないテレガラフ。テレガラフは電信・テレグラフを指しています。また、蒸気は汽車を指しているとされます。

当時の電報料金は、札幌から東京へ20字までで45銭。現在の金額で、2万から3万円くらいだったと伝わります。従って、裕福な人物か急を要する場合にしか利用されませんでした。

電信は、電話が登場する明治20年ころまで人々の情報伝達の主流でした。その陰で多くの電信技士たちも活躍しました。1885年・明治18年、余市電信局で幸田露伴が働いていたといいます。

明治20年に近くなると、電信に変わって電話が登場してきます。

「トーク2」

日本で最初の電話交換は、1890年・明治23年に東京市内及び、東京横浜間で行われました。北海道では、1900年・明治33年に札幌で最初の電話が開始されたというのが一般的です。

しかし、北海道では土地ならではの特別な電話があったことが記録されています。そのひとつは鉄道電話でした。

1880年・明治13年、幌内鉄道が着工されました。明治15年には、手宮から現在の三笠市である幌内まで鉄道が敷設され、幌内炭山から石炭を輸送するルートとして活用されました。

1883年・明治16年、この鉄道の中に、私設電話が設置されたといいます。これが北海道で最初の電話でした。

もうひとつは、浜益の漁場に設置された電話とされます。1885年・明治28年、浜益周辺の日本海側の町は、ニシンの水揚げで沸いていました。ニシンを捕るためには群来をいち早く見つけることが必要でした。

浜益の電話は、ニシンの群来を各漁場にしらせることと、漁業組合からの気象予報をしらせるために設置されました。

設置されたのはガーベル式電話機。場所は広範囲で、北は雄冬、南は濃昼(ごきびる)まで。その間に群別・幌・タンバッケ・雄冬・毘砂別(びしゃべつ)・アイカップ・送毛(おくりげ)の7カ所に電話所が設けられました。

これらの地域は、北海道で初の民間利用電話のエリアとなりました。当時のニシン漁に多大な恩恵を与えていくことになります。

一般の行政指導による電話は、本州から遅れること10年、1900年・明治33年3月に札幌・小樽・函館の順で開始されました。その時の電話加入数は、札幌141件・小樽257件・函館320件でした。北海道経済の中心地が箱館だったことを物語っています。

電話への登記料は15円、電話機の付加使用料が年間18円、公衆電話は1回5分で15銭でした。白米1俵が10円・もりそば1枚2銭の時代からすると、登記料だけで大変な金額になります。従って、電話は経済的に余裕のある人々しか申込ができませんでした。

その後、電話は通信網の発達に伴い、エリアが拡大していきました。しかし、その方法は交換方式。電話を掛けると、ひとまず電話局交換台につながります。そこでつなげてほしい希望番号を伝えてから通信しました。

電話をかければ相手につながるというの自動化は本州で進められていましたが、北海道は手つかずでした。しかし、旭川だけが自動電話が1931年・昭和6年に始められています。

旭川電話局が1928年・昭和3年に全焼。復旧するときに、本州で進められていた自動方式が採用されました。

北海道でも進められていった電話の自動方式が、全エリアで完了したのは1978年・昭和53年10月18日。場所は雄冬でした。

ニシンのための民間電話機が設置されてから、93年目のことでした。

出典/参考文献

北海道なんでもルーツ 吉岡道夫 北海道新聞社 1989年

インターネット資料

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